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ラブレターをもらったような気持ちに
カスミソウ農家
Oyama Kenichi
大山 賢一
東京都出身。カスミソウの新規就農を目指し、首都圏より家族3人で昭和村に移住。
40目前になって、
決断しないとって
東京で約13年間、バスの運転手を生業としてきた大山さんが昭和村でカスミソウ農家を志すまでには、自分と向き合う多くの時間と、積み重ねた年齢の後押しがありました。
——「バスの運転はずっと運転席に座って長時間運転しないといけないので、結構腰に響いて来るんですね。——この先定年の70歳まであと30年間、バスの運転を続けないといけないと思って。まだ折り返しにも来てないなぁと。」
そんなことを考え出してから約2、3年の月日が経ち、いよいよ40歳目前というところで農業に転職を決意。
——「40歳目前になって、これはもう決断しないとと思って。——まず運転から離れて、体を動かす仕事をしたいと思った時に、真っ先に”農業”が思い浮かんで——、それからいろんなご縁があって昭和村に来ることになりました。」
それから農業を志し地元の東京、お隣の埼玉へと拠点を探すものの、宅地の増加、後継者、2年間の農業大学校を経てからの就農など、多くの壁に阻まれますが、東京有楽町の「ふるさと回帰センター」に相談に訪れた時、転機が訪れます。
——「バスの運転はずっと運転席に座って長時間運転しないといけないので、結構腰に響いて来るんですね。——この先定年の70歳まであと30年間、バスの運転を続けないといけないと思って。まだ折り返しにも来てないなぁと。」
そんなことを考え出してから約2、3年の月日が経ち、いよいよ40歳目前というところで農業に転職を決意。
——「40歳目前になって、これはもう決断しないとと思って。——まず運転から離れて、体を動かす仕事をしたいと思った時に、真っ先に”農業”が思い浮かんで——、それからいろんなご縁があって昭和村に来ることになりました。」
それから農業を志し地元の東京、お隣の埼玉へと拠点を探すものの、宅地の増加、後継者、2年間の農業大学校を経てからの就農など、多くの壁に阻まれますが、東京有楽町の「ふるさと回帰センター」に相談に訪れた時、転機が訪れます。
心が熱くなって、
ラブレターをもらったような気持ちに
大山さんは、ふるさと回帰センターの福島県のブースで昭和村の「カスミソウ」と出会うことになります。
——「あっ、お花をつくるのも農業なんだなって。カスミソウもトマトなどに比べると軽いので。——目標80歳まで頑張ろうと思ってるので、あと40年間できるかなぁっていうので、じゃあ昭和村に行こうって思いました。」
——「”かすみの学校”っていうパンフレットを頂いたんですけど、それを頂いた時に心が熱くなったというか——、ラブレターをもらったような、心が本当にパァーっとなって『これをやる!』っていう感覚になった事が、いまでも心の中に残ってます。」
「かすみの学校」は、昭和村が行う就農希望者に向けたカスミソウ農家のインターンシップ事業。生産者のもとで仕事を体験しながら、昭和村での暮らしを体感できるというものです。”花をつくるのも農業”、その痛烈なインパクトと共に、心の中に熱くなるものを感じたと言います。
——「あっ、お花をつくるのも農業なんだなって。カスミソウもトマトなどに比べると軽いので。——目標80歳まで頑張ろうと思ってるので、あと40年間できるかなぁっていうので、じゃあ昭和村に行こうって思いました。」
——「”かすみの学校”っていうパンフレットを頂いたんですけど、それを頂いた時に心が熱くなったというか——、ラブレターをもらったような、心が本当にパァーっとなって『これをやる!』っていう感覚になった事が、いまでも心の中に残ってます。」
「かすみの学校」は、昭和村が行う就農希望者に向けたカスミソウ農家のインターンシップ事業。生産者のもとで仕事を体験しながら、昭和村での暮らしを体感できるというものです。”花をつくるのも農業”、その痛烈なインパクトと共に、心の中に熱くなるものを感じたと言います。
一人でできないことはないけど、
二人でやっていく
2021年の春に移住した大山さん。カスミソウ農家としての研修を受ける中で気づいたのは、カスミソウの栽培方法や特徴、品種の多さだけでなかったそう。
——「農業って一人でできないことはないんですけど、二人でやってくっていうのが自分の中であって。もし一人だったら移住も考えてなかったかもしれないですね。——一人でやるより二人でやった方が、花の出来も変わってくるんじゃないかなって。二人で作ったからこその商品っていうのは自分の中であります。」
これまで家族を支えるために一人でバスの運転手をしていた大山さんにとって、家族と共に働ける農業には別格の充実感を感じます。
——「農業って一人でできないことはないんですけど、二人でやってくっていうのが自分の中であって。もし一人だったら移住も考えてなかったかもしれないですね。——一人でやるより二人でやった方が、花の出来も変わってくるんじゃないかなって。二人で作ったからこその商品っていうのは自分の中であります。」
これまで家族を支えるために一人でバスの運転手をしていた大山さんにとって、家族と共に働ける農業には別格の充実感を感じます。
繋がるっていうところが、奥会津らしさがある
——「人があったかいんじゃないかなぁって思います。」
こう言って、移住する前に訪れた昭和村のゲストハウスで、移住したいという相談をしたところすぐに役場につないでくれたというエピソードを話してくれました。また、そんな人の良さにも相性があると思うが、大山さん自身にはとても心地良いと言います。
昭和村の学校は、都市部に比べると圧倒的に少人数。教育の環境にはさまざまな考え方がありますが、教師1人に対する生徒の人数が少ないことは、きめ細やかな教育機会に恵まれていると考える事もできます。
——「いいところって一人一人持っていると思うんで、だめって思った時にそこで一人で悩まないで、いいところを見つけて欲しいなって——。人って字の通り誰かと繋がっていると思うので、絶対挫折しないで欲しいなと思います。」
——「繋がるっていうところに、奥会津らしさがあると思います。」
壁にぶつかり悩んだ時も、奥会津ならではの人と人との繋がりを信じて、自分の良いところをしっかりと見つめられれば、大きな壁も超えられるのかもしれません。
こう言って、移住する前に訪れた昭和村のゲストハウスで、移住したいという相談をしたところすぐに役場につないでくれたというエピソードを話してくれました。また、そんな人の良さにも相性があると思うが、大山さん自身にはとても心地良いと言います。
昭和村の学校は、都市部に比べると圧倒的に少人数。教育の環境にはさまざまな考え方がありますが、教師1人に対する生徒の人数が少ないことは、きめ細やかな教育機会に恵まれていると考える事もできます。
——「いいところって一人一人持っていると思うんで、だめって思った時にそこで一人で悩まないで、いいところを見つけて欲しいなって——。人って字の通り誰かと繋がっていると思うので、絶対挫折しないで欲しいなと思います。」
——「繋がるっていうところに、奥会津らしさがあると思います。」
壁にぶつかり悩んだ時も、奥会津ならではの人と人との繋がりを信じて、自分の良いところをしっかりと見つめられれば、大きな壁も超えられるのかもしれません。
一度地方に出てみて、
空気を感じ取って、
自分がどう思うか
——「例えば私が昭和村に生まれて、昭和村でずっと育っていたら多分こういう感情って湧かなかったと思います。東京から移住したからこそわかる昭和村の良さってあると思うんで——。
——「昭和村だけにとどまらず、一度外に出て空気を感じ取って自分がどう思うか、——いろんな経験をして育ってもらいたいなと思いますね。」
これまで住んでいた場所とこれから住む場所のギャップによって、互いの良い部分を知ることができる。そして自分の輝く場所は、自分の目で見て、肌で感じるという経験が大切だと、大山さんの言葉からはそんなメッセージも感じ取れます。
取材:2021年12月
——「昭和村だけにとどまらず、一度外に出て空気を感じ取って自分がどう思うか、——いろんな経験をして育ってもらいたいなと思いますね。」
これまで住んでいた場所とこれから住む場所のギャップによって、互いの良い部分を知ることができる。そして自分の輝く場所は、自分の目で見て、肌で感じるという経験が大切だと、大山さんの言葉からはそんなメッセージも感じ取れます。
取材:2021年12月
動画では、ここで紹介した以外にも、農業を志してから移住までの詳しいお話や、移住後の奥会津の暮らしの魅力などさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。