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ほどよい距離感が檜枝岐らしい

尾瀬檜枝岐浪漫紀行
Jo Takeshi
地域おこし協力隊を経て、尾瀬檜枝岐浪漫紀行を設立。曲げわっぱ製作販売と尾瀬の観光ガイドに取り組む。

今となっては何となくですね。いろいろと後から理由はつけられますから。

——「やりたいことを好きな時にやっています。」

檜枝岐村で伝統工芸品である「曲げわっぱ」の製作や、尾瀬の自然ガイドなどを主な仕事としている城さんは、自分の意思の赴くままやりたいことと常に向き合っている。

曲げわっぱの製作に関して「上手く行った時は楽しいですけど、上手く行った時だけですね、楽しいのは。」ときっぱり話すのは、その工程や材料調達の大変さから。

「つくる以前に材料の調達から大変ですね。使われている木がすごくいい木。例えばマグロで言ったら大トロみたいなところを使っていくんで、それを調達するのがすごい大変で——。木が手に入ったら入ったで工程も色々あって、大変ていうかめんどくさくなってきてます(笑)」

地域起こし協力隊の活動を経てそのまま檜枝岐村に定住。なぜ奥会津という選択をしたのかについて聞いてみると、少し困ったような顔をした後で「なんとなく——」と話し始めてくれました。

——「檜枝岐を初めて来たときに、村に歌舞伎があったり尾瀬があって自然も綺麗なんで、ここがいいかなと思って来ました。——結構全国西の方からふらふらっと回りながら来ましたね。今となっては正直何となくって感じですかね。いろいろと理由は聞かれる度に後から取ってつけたようなものはありましたけど、まぁなんとなくですよね、ほんと。どこ住んでみてもいい所だなぁって思ってたんで。今も当時も。」

頭がおかしい人間を演出していたら、ほっとかれて、自由度が増していきましたね(笑)。

「——当初は観光案内所に配属されて、それで業務をこなしてましたね。そこから村のことを調べて行って、今のような生活スタイルを確立させて行ったというか——。つまんなくはなかったですけど、あまり協調性がないので団体とかに入って何かするのはそれだけでストレスで、頭がおかしくなってしまいましたね(笑)」

自ら協調性はあまりないと話す城さん。自分のスタイルを貫くことで、時間をかけて周囲もそんな姿を認識していったようです。

「だんだんと、頭がおかしい人間を演出していたら、ほっとかれて、自由度が増していった感はありますね(笑)。——残ること前提で協力隊もやってましたから、残らないんだったら辞めてとっとと出てってましたよ(笑)。(檜枝岐村に)いたいから続けて来たっていうのもありますからね。ダメだと思ったら自分は損切りも早いんで。」

地域起こし協力隊の活動を行っていた時から檜枝岐村に残りたいと考えていたため、当時の協力隊業務もなんとかこなして来れたんだとか。

曲げわっぱは色々なものとクロスオーバーする。

数ある伝統工芸の中でも、なぜ曲げわっぱ製作を行うようになったのか聞いてみました。

「きっかけは何かガイド以外にもやるかと思った時に、楽しそうだと思ったから——。」と曲げわっぱ製作については楽しそう、儲かりそうという直感的な印象でスタートしたそう。「——真面目にやったらガイドよりは結構儲かりますね(笑)」と、城さんらしく赤裸々な部分まで話してくれました。

「元々観光案内所とかにいた時に曲げわっぱないですか?って問い合わせが結構あったんですよ。意外と知名度が残っていたんです、村の曲げわっぱって。先人たちのおかげで知名度が残っているというのは大きいですね。それで、"やるか" って。」

「——土壌がいいんですよね。会津だとここに漆を塗ったりしてるじゃないですか、そういうのと親和性が高いと言うか、そういう人たちと一緒にやってけたりもすると思うんで。——あと飲食関係だとか、昭和村だとからむし織に使ったり——。色々なものとクロスオーバーする商品なので、やりやすいと言えばやりやすいですね。」

ほどよい距離感が檜枝岐らしい。

奥会津の暮らしは不便だと話す反面、城さんが奥会津に住み続けるのには、檜枝岐村特有の居心地の良さだと言います。

「——話を聞いてると、檜枝岐の人って周りとは違うのかなって感じがしなくもないですね。例えばあまり表立って干渉してきたり、排他的なところが意外とないかもしれない。——都市部でよくある人と人との距離が遠すぎる感じとは違うけども、田舎でよく言われるべったりで干渉して来たり、近すぎて面倒臭いとかそういうものとも違うような、謎の距離感を感じますね。よくも悪くも。(笑)」

「一村一集落の、奥会津の中でも一番小さい村なんですけど、そうした環境であるにも関わらず、程よい距離感がある所が檜枝岐らしいなって自分は感じます。」

努力するべき時に努力しておけば、好きなことをやれる選択肢が増える。

「ちゃんと勉強した方がいいですよ。」
奥会津の次世代に向けたメッセージを聞くと単刀直入にこう答えます。

「——努力するべき時に努力しておけば、好きなことをやれる選択肢が増えると思うんで。今は我慢して勉強した方がいいかなと思います。戻りたくないなら戻らない方がいいし、都会でうまくやれるんだったらそれでいいと思いますし。」

「——自分たち世代が若い人に戻って来てもらいたいと思うんだったら、戻ってこれるような環境をつくるように努力すべきだと自分は思います。選ぶのは向こうだし、どうして欲しいとかっていうのはないですね。」

この地域の仕事の選択肢を拡げていきたい。

「曲げわっぱは産業とは言わなくても、もう少しこの地域の仕事としての選択肢を拡げられるようにしていきたいなとは思います。ただ自分の世代では自分は好き放題やって、次の世代へはもう少しいい環境を——って思ってます。だから今は自由にさせてください、まだ(笑)」

地域の仕事の選択肢を増やす、そんな思いで、一度村外へ出た人たちも戻って来れるような環境をつくる努力を自然に実行しています。

この先も自分なりの自由な表現方法でやりたいことを実現していく城さん。もしかすると、成功の秘訣は自由をつかみとることなのかもしれません。

取材:2022年6月
動画では、ここで紹介した以外にも、城さんの曲げわっぱ制作にまつわるエピソードや人柄が伝わる、さらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
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