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地域との橋渡し役になる

柳津観洸船株式会社 代表取締役
Suzuki Yuki
柳津町出身。只見川の観光船「柳津観洸船」を運営する傍ら、会津ガーリック「力にんにく」の生産・販売に取り組む。柳津観洸船株式会社・代表取締役

町を出た子どもたちが戻ってきて楽しめる場所を残す

豊かな水を誇る只見川が流れる奥会津の柳津町。そこにかかる赤く印象的な瑞光寺橋をくぐり、今日も柳津観洸船は進んでいく――。

船内に響くのは、柳津観洸船株式会社・代表取締役の鈴木悠貴さんのアナウンスだ。

<こちらの観光船は、最大で12名乗りの観光船となっております。約40分の遊覧で、下流に約4キロほど下り、こちらの桟橋へ戻ってきます。船内からは川から仰ぎ見る橋や福満虚空藏菩薩を眺めることができます。

非日常的な景色をご覧いただければと思います。そしてまた、四季折々の自然もお楽しみください。夏の青々とした緑や、秋の鮮やかに彩られた紅葉。とても景色が美しいので、ぜひお楽しみいただければと思います>

子どもたちが帰ってきたい場所をつくる

一人で二足のわらじどころか、三足、四足のわらじを履く鈴木さん。建設資材関係の販売会社に勤務しながら、只見川の観光船「柳津観洸船」を運営し、会津ガーリック「力にんにく」の生産・販売にも尽力している。柳津町で生まれ育った鈴木さんはどういった経緯でたくさんの役割を果たすことになったのだろう。

「柳津町では昔から観光船が営まれてきました。町の人たちはみんな慣れ親しんでいたのですが、経営していた方たちが高齢化し廃業することになりました。その際に、桟橋や船をどう処分すればいいかと、僕に相談が来たのです。話を聞くうちに、町の観光資源がなくなってしまうのはもったいないと思うようになり、次第に自分が引き継ごうと思うようになっていきました。」

趣味で船の免許を取っていた鈴木さんは、最初は「壊してしまうのがもったいない」という思いから引き継いだという。この段階では、「自分たちの遊びに使おうかな」という軽い気持ちだったという。しかし、事態は思わぬ方向へと進んでいく。

「柳津町役場の方が僕が観光船を引き継いだのを聞きつけて、『観光資源としてどうか残してほしい』と声をかけてきました。そこで、観光業として、僕が代表となり引き継ぐこととしたのです。」

にんにくの生産・販売も昔からこの土地で引き継がれてきたものであったという。なぜ、鈴木さんはこの仕事にも従事することとしたのだろう。

「柳津町には昔から『にんにく部会』という農家の方の団体があり、僕が知る限り15年程はにんにくの栽培を行なってきた歴史がありました。ただ、従事していた方々が高齢で、どんどん農業をやめていくような状況が生まれていたのです。そのことは知っていたので、『雪深く気候が似ている青森県の名産品・田子にんにくの栽培をしないか』と声をかけてもらった際に、これまで町に存在していた『にんにく部会』で引き継いで一緒にできたらいいのではないかと閃いたのです。こうして、会津ガーリック『力にんにく』の生産・販売をスタートさせました。」

奥会津に生まれ育ち、この場所に住み続ける鈴木さん。「元々は外に出たいという願望はすごく強かった」と語る。しかし、今は、これまであった柳津町の産業を引き継ぎ、何役もの役割を果たす。そこに込められた思いとはいかなるものなのだろう。

「もしこの場所が衰退して、町を出た子どもたちが帰省やUターンをしてもつまらない場所になってしまったら悲しいですよね。純粋に、奥会津を楽しく戻ってこられるような場所にしていきたいという思いがあったんです。」

人と人とのつながりの深さに救われる

柳津観洸船の事業を続けていく中で、地域の方々のあたたかさを感じていったと鈴木さんは振り返る。
「2年前ほど前に、柳津町を豪雨災害が襲いました。その際に観光船が発着する桟橋も大きな被害を受けたんです。かなりひどく破壊されてしまい、自分の力だけで復旧できるレベルではなかったので、打ちひしがれていました……。すると、地域の仲間などが、自然と集まって片付けを手伝ってくれたんです。この人と人とのつながりの深さは、奥会津のよさだと思っています。」

他地域から奥会津に移住した人々からも、「すごく人が魅力的だ」という話を耳にすることが多いという。
「お節介というぐらい、いろんなことをしてくれるそうなんです。食べ物を渡したり、『困ってることはないの?』と聞いてくれたり。みんな、人が優しいと口々に言っていますね。」

奥会津の自然についても、緑の美しさなどの魅力を口にする方が多いと感じているという。鈴木さんは、「本当に冬は雪が深くて、夏はちょっと暑すぎるぐらい暑い。でも、逆にそれが季節をはっきりと感じられていいと思うんですよね」と微笑む。

橋渡し役となり、たくさんの方を奥会津に迎え入れたい

鈴木さんは奥会津を一度出た人がいつでも戻って来られるような場所を作っていきたいと語る。

「一度奥会津から出た人の中には、『戻りにくい』と感じている人もいます。その理由をよくよく聞いてみると、戻ってきた人たちに冷たいのではないかという感覚を持っているようなのです。しかし、どんどん世代も変わっていきますし、少なくとも私たち若い住民は誰が来てもウェルカムです! Uターンの方もそうですし、新たに移住される方とも、一緒に楽しく過ごしていけるといいなと思っています。

そして、僕らがそうした方々と地域との橋渡し役になっていきたいと思っています。だから安心して、どんどん奥会津に来ていただきたいです。」

奥会津に残されたたくさんの「財産」を引き継ぎながら、鈴木さんのその瞳は常に未来を見据えている。今日も只見川の水面には昔と変わることのない奥会津の鮮やかな景色が映し出されていた――。
動画では、ここで紹介した以外にもご自身の仕事の魅力や大切にされていること、奥会津の暮らしの好きなところなどさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
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