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人生に『失敗』はなく
すべては『経験』

ガレット・エ・ポムポム 店主
Hirako Satoshi
福島市出身、赤坂プリンスホテルや軽井沢プリンスホテルでシェフを務め、只見町へ移住。築150年を超える古民家を改修し、洋食店ガレット・エ・ポムポムをオープン。民泊体験の提供や「あとひき胡桃」の製造販売に取り組む

35年の料理人人生を結実させた奥会津の暮らし

福島市出身の平子聡さんは、赤坂プリンスホテルや軽井沢プリンスホテルでシェフを務めた後に奥会津の只見町に移住。くるみを使ったお菓子「あとひき胡桃」の製造・販売を行い、土日祝日のランチを提供する洋食店ガレット・エ・ポムポムを営業している。現在は名物料理の「ふぉあぐら丼」が人気を博し、全国から観光客が訪れる。さらに、1日1組2名から4名様限定の民泊業も営む。

高校卒業後、東京でレストランに勤務し、ホテルへキャリア入社をした平子さん。その後、軽井沢プリンスホテルで宴会担当の料理長を任される。
「地産の食材を使ったメニュー開発の仕事を担うようになり、楽しさを感じました。地域ならではの新たな食材や鮮度のよい作物を活かした料理を作る喜びを知りました。」

その後、東京でレストランを開業するも、「子どもが成長し、教育が落ち着いたら地方移住をしたいと感じていました。ふるさと回帰への思いがあったんです」と平子さんは振り返る。

口コミで人気が広がった「ふぉあぐら丼」

奥会津に移住すると、町役場の方が「人口減少に苦しんでいて対策をしたい」と漏らしていたと平子さんは語る。
「人口を増やすことに力をお貸しできるとは思えませんでしたが、町をもっと有名にして、活性化させ、観光客が増え、住民の所得が上がるようなことには微力ながらでも貢献できるのではないかと思っていました。」

名物料理「ふぉあぐら丼」はSNSでじわじわと認知が広がり、地方紙やテレビで取り上げられると、瞬く間に人気となった。

「関東や新潟方面からオートバイで来る観光客の方が、『何の店だろう』と入店してくださることもあります。提供しているメニューの数は極端に少ないですが、特化しているからこそ、スピーディに提供できますし、高い原価率の食材を使っていますが提供することができています。

質の高いおいしい料理を丹精込めて提供しているので、『こんなにおいしい料理を食べると、もう素通りできなくなっちゃうね!』と言っていただいたり、『バイク仲間に、おいしい店があるから行ってきなよと言われてきた』という口コミが投稿されていたりします。リピーターの方の中には、『宣伝しておいたよ』と言ってくださる方もいます。こうしたお客様同士のつながりで、少しずつ福島県や新潟県だけでなく関東から来ていただく方が増えていったと感じます。」

また、奥会津での収益を安定させた要素として「あとひき胡桃」の存在は大きかったという。「あとひき胡桃」は東京にいる時点で開発をスタートしていた。その後、オンラインショップを整備し、全国からの注文に対応。「夕方6時までに発送した商品が、翌日の午前中には、東京に到着します。『おいしくてビックリしている』といった高評価をいただき、オンラインショップの売上が安定していたことも奥会津での暮らしを支えている」と平子さんは言う。

「『あとひき胡桃』は関西からの注文が3割ほどあります。商品の注文を機に西日本の方にも、奥会津へ興味を持っていただけると嬉しいです。例えば、実際に足を運んで、この土地の冬の豪雪を体験してもらうようなことにつながるといいですよね。」

季節ごとの自然の香りに包まれて穏やかな気持ちに

平子さんは奥会津での暮らしをどう楽しんでいるのだろう。
「幼少期から、父親に連れられて、山の中に入り、 渓流釣りや山菜取りをしていました。奥会津は福島市の私の実家よりも一層自然を間近に感じられる場所です。こちらに移住して、山や土の香りに包まれて穏やかな気持ちになることができています。

ご存じの通り、奥会津は豪雪地帯ですから、冬は長いです。ゴールデンウイーク頃まで雪に閉ざされた空間になりますが、だからこそ、春の訪れが待ち遠しくなります。春になって、雪溶けと同時に山菜が芽吹き始めて、土の香りを感じるようになります。夏は一生懸命野菜を育てて、秋になるとキノコなどの細菌類が発する匂いを満喫します。私は知識がないので、どこに生えているかまではわかっていませんが、山歩きをしているとキノコや山菜に巡り合えます。この場所には四季と歩む喜びがあるんです。」

平子さん夫婦の奥会津への移住を、東京で生まれ育った3人の子どもたちも喜んでいるという。
「奥会津に移住してから、子どもたちに『ここが実家になったんだよ』と伝えると、とても喜んでくれました。すぐ近くにスキー場があるのでウィンタースポーツなども楽しめ、気に入ってくれているようです。」

比較から離れ自分らしさを保てる時間を得られた

平子さんは奥会津で「自分らしさを保てる時間を得られた」と語ります。
「東京では、車なんか所有しなくても生活できるのに、見栄えをはって高級車を買うような生活を送っていました。当時は無意識でしたが、人と同じことに価値を見出していたように思います。今は軽トラがないと生きていけないので、高級車よりもそちらの方がずっと重要です(笑)。

奥会津に来て、都心で持っていた考えに対して、『そんなことに生きる価値を求めなくても いいんじゃないか』と気づくことができました。1年に数回しか乗らない高級車を所有してることよりも、山菜取りや山歩き、魚が釣れなくても釣り糸をたらしているような時間を味わえる方がずっと満足度が高いです。

どこに基準があるかによって異なるとは思いますが、私は現在の暮らしに余計なストレスを感じずにいられます。」

人生に「失敗」はない。あるのは経験だけ

次世代を担う若者や子どもたちには、「いろいろな経験をしてほしい」と平子さんは言う。

「私は人生に『失敗』はなく、すべては『経験』だと思っています。私は職人なのであらゆる経験が引き出しを増やすことにつながります。最初にこの土地に開業した際には、『こんなところで商売をしてもお客さんはこないよ』と言われました。でも、私は『こんなところ』だからこそ、集客ができるのではないかと発想の転換をしていたんです。

この奥会津は環境が素晴らしい。だから、オートバイなどで多くの観光客がきます。しかし、何もなければただ『いい景色だったね』と言い合って素通りしてしまいます。食事をしたり泊まってもらったりしてもらわなければ、町の発展にはつながりません。

どんな場所でも商品開発をしてお客様に喜んでもらえるようになったのは、軽井沢や東京などで35年間にわたり多様な経験をしながら料理人人生を送ってきたからです。料理はいろいろと試してみなければうまくはなりません。足し算と引き算、掛け算を無数に繰り返していったことで、こういう味になるだろうなといったことがわかっていきました。」

平子さんはこうした自身の経験から、「地域の外で学び、経験を重ねて、スキルを身につけ、ふるさと回帰の思いが湧いてきたら『戻る』という決断をするといいのではないか」と語る。「きっと活躍できる場になっているから、力を発揮してほしい」と続ける。

また、奥会津に残る若い世代には、「対話を重ねながらグローバルな考え方なども身につけ、少しずつ地域に新たな息吹を吹き込んでいってほしい」と平子さんは思いを語る。

築150年を超える古民家で提供される絶品の「ふぉあぐら丼」。そこには平子さんの経験してきた人生が凝縮されている。「おいしい」からはじまる地域の変化は、少しずつこの奥会津の土地で広がっている。
動画では、ここで紹介した以外にもご自身の仕事の魅力や大切にされていること、奥会津の暮らしの好きなところなどさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
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