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田園風景を次世代に残したい

合同会社 ねっか 代表取締役社長
Wakizaka Yoshihiro
郡山市出身、大学卒業後は建築業界へ。結婚を機に南会津へ移住し、花泉酒蔵での酒造りを経て、只見町産の酒米で焼酎をつくる合同会社ねっかを創業。様々な企業・団体とのコラボ企画を手掛け、地域キャリア教育に取り組む

成人になった地域の子どもたちへ自身で育てた米焼酎を贈る

奥会津の只見町で米焼酎を製造する「合同会社ねっか」の代表を務める脇坂斉弘さん。米づくりから一貫して作る全国的にも珍しいベンチャーの醸造所だ。奥会津の田園風景を次世代に残すことを目指し、地域の農家と協働、2017年に福島県初となる特産品焼酎免許を取得。現在では海外の品評会で金賞に選ばれるほどに成長を遂げた。

奥会津エリアを中心に販売しながらも、おいしさが話題となり、現在では国内はもとよりイギリス、香港など国外でも販売されるようになった。

「ねっかの焼酎は香りにこだわっています。日本酒の吟醸香のようなフルーティな香りが特徴で、この香りを出すために酵母の開発も進めてきました。地域の田んぼで育てたお米を使い、福島県の醸造技術を用いた米焼酎となっています。」

地域の田んぼを守り、特産品を生み出す

福島県郡山で生まれ育った脇坂さん。若い頃は建築業に従事していたが、ものづくりへの思いから、結婚を機に妻の実家である奥会津に移住し酒造りに携わるようになる。

「福島県内に住んでいましたが、奥会津は行ったことがありませんでした。いくつもトンネルを抜けて、『まだ行くのか』と思い、やっと辿り着いた……そんな記憶が残っています。雪深いせいなのか山が深いからなのか、人が密集して暮らしていて『こんなに人が住んでいるんだな』と第一印象は思いました。しかし、現在の只見町の人口は3,800人程。高齢化率は約47%。田んぼも守っていくことが難しく、耕作放棄地が増えているという状況がありました。」

農家の方々が頭を悩ませる姿を見て、「地域への恩返しのつもりでお手伝いしたいという思いが湧いた」という脇坂さん。「ねっか」の製造に至る経緯を振り返る。

「地域のほしがるものを作るという関わり方を大切にしています。こうしたものづくりは、地域の方々と同じベクトルを持たないとうまくいきません。『ねっか』を作るにあたり、地域の方々の思いは大きく2つありました。

1つ目は、地域の特産品やお土産がほしかったということ。2つ目は地域の田んぼを守っていきたいという思いが強かったということ。それぞれの思いが重なり、米焼酎を作ることへと結実していきました。」

自然の中に人間が住まわせてもらっている

福島県内出身の脇坂さんも奥会津の暮らしについては知らないことがたくさんあったという。

「私は川や山で遊ぶような経験があまりしたことがなかったので、移住してきた際に地域の年配の方々からいろいろ教えてもらいました。こうしたことは、子どもたちにもきちんと伝えなければいけないと思い、『おやじの会』を立ち上げて、子どもたちと一緒に体験的に学ぶ機会を作っていきました。

しかし、実は子どもたちは、学校の授業で地域のことをすごく学びます。大人世代の方が意外と知らないことが多いということに気付いていきました。そのため、次第に子どもだけでなく保護者が地域のことを学ぶ活動へと変容していったのです。」

「奥会津らしさとは?」という問いに、脇坂さんは「自然豊か」「人がいい」と答える。しかし、「これは決して当たり前のことではない」と続ける。

「夜に田んぼでドローンを飛ばすと、敷地内に熊1頭と鹿2頭がいたぐらい、この土地は自然の中に人間が住まわせてもらっているようなところです。こうした環境で生活することで、本来の人間らしさを取り戻すことができるのではないかと思っています。私の子どもたちも本当に素直に育ちました。」

さらに、奥会津の肥沃な土地は豊かな農作物を育む。
「雪が多いのでミネラル分が多い土壌となっており、トマトや米などおいしい農作物が育ちます。そのため山奥ですが、食べ物には困らない。このことは地域の特徴なのではないかと思っています。」

地域の大人が自然と子どもたちを見守っている

「田舎には人が近いという良さと、人が近すぎるという悪さが同居している」と脇坂さんは語る。
「この地域の人たちは下の名前で呼び合うのが当たり前なのですが、最初の頃は私も違和感があったのです。しかし、段々と慣れて、いつの間にか下の名前で呼び合うことが自然になっていきました。私もこの地域に馴染んできたんだなと感じます。」

こうした密な人間関係の中で、子育ては助けられることが多かったと語る。
「都会では子どもたちに声をかけることすらできない雰囲気があると思います。しかし、奥会津では周囲の大人たちが声をかけますし、子どもたちも挨拶を交わします。地域の方々に見守られていると感じながら子育てをすることができました。

ある時、息子が自転車で転んだことがあったのですが、近所の方から私の携帯電話に『お前のところの子ども、転んでいたぞ!』と連絡がありました。

また、子どもたちが川で遊んでいると、必ず誰か大人が見守っています。川で怪我でもしようものなら、すぐに家に連絡が来る。なかなかこんなふうに見守ってもらえる環境はないですよね。これはすごいことだなと思っています。」

子どもたちに成人になった時のプレゼント

脇坂さんは地域の子どもたちと行う酒造りにも取り組んでいる。只見町には家から通える専門学校や大学がなく、高校卒業後はほとんどの子どもたちが地域の外に出ている。そして、再び多くの子が地域に戻ってくるのが二十歳の時だ。

「成人した『二十歳のつどい』の際に、子どもたちがこの町に戻ってきます。お酒を飲める年になって帰ってくるので、その時に地域でできることをしたいなと思い米焼酎を贈ることとしました。この米焼酎は、子どもたちが小学5年生の頃に田植えと稲刈りをした米で作っていて、子どもたち自身がラベルを書き、『ねっか』で9年間保管します。焼酎は寝かせた方がむしろ価値が上がりますからね。よりおいしくなった状態で、二十歳に贈る。昔のこと、そして地域のことを思いながら、味わってほしいと考えています。」

子どもたちと酒造りをすることで、地域の大人の理解も醸成していると脇坂さんは語る。
「子どもたちが焼酎に使う米づくりや地域活動に関わることで、保護者など地域の大人たちが『ねっか』の酒造りの思いにも触れてくれています。子どもから大人が学んで、また下の世代にも引き継がれていく。子どもたちと一緒にこの地域を作っているという感覚を持つことができています。」

こうした活動は小学校だけでなく、中高生の学びにもつながっていく。学齢をまたぎ地域に関わる活動が連続しているのだ。
「中学生はプラレジ袋削減に取り組んで、使用済みの米袋を活用し、『ねっか』を入れる『ねっか袋』を製作してくれています。高校生は『ねっか』Tシャツを作ってSNSでPR活動をしてくれているんです。」

「戻ってきたかったらいつでも戻っておいで」といえる地域に

只見町の人口は2000年頃には6,000人ほどいたが、約20年間で2,000人以上減っている。不便なこともあるが、この場所の価値を残し、子どもたちの「戻ってきたい」という思いを受け止められる場所でありたいと脇坂さんは語る。

「私は昔ながらの奥会津の田んぼを次の世代に残し、かつ、きちんとここで生活できるコミュニティを構築していきたいと考えています。せめて大人たちが、『戻ってきたかったらいつでも戻っておいで』と言えるように、大人がきちんと環境を作っていきたいですよね。

地域づくりは仲間たちと一緒に行っていくことが大事だと思うので、たくさんの方々と協力をしながら、次世代につなぐ奥会津を思い描き、これからもさまざまな活動を続けていきたいと思っています。」

次世代へ地域をつなぐバトンは渡されていく。そのために、大人たちは今できることに懸命に取り組む。脇坂さんの目に迷いはない。
動画では、ここで紹介した以外にもご自身の仕事の魅力や大切にされていること、奥会津の暮らしの好きなところなどさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
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