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自分のやりたいことを仕事にできる

尾瀬マウンテンガイド
Asai Rihito
埼玉県出身、関東での会社勤務を経て、尾瀬の自然に魅了され、檜枝岐村へIターン。尾瀬マウンテンガイドを立ち上げ、山岳ガイドのプロフェッショナルとして、全国各地からの来訪者へ尾瀬・檜枝岐の魅力を語り継ぐ

日々表情を変える見飽きることのない
尾瀬の自然

奥会津の木々を指差し、愛おしそうにその特徴を語るのは登山ガイドのプロフェッショナル浅井理人さんだ。自然に寄り添う浅井さんのガイドを求め、全国津々浦々から来訪者が訪れる。埼玉県出身の浅井さんが奥会津に移住してきたのは15年ほど前。「山」を求めてのIターンだった。

「埼玉県にいる時は、運送業の仕事に携わっていましたが、仕事がとてもきつく、日々ストレスを感じていました。小さい頃から父親について山登りをしていて、高校の時はケイビングという洞窟探検の部活動に入っていました。そんな背景もあり、山の仕事がしたいと思うようになって奥会津への移住を検討したんです」

周囲を山に囲まれたガイドに最適の場所

自然豊かな場所での暮らしを望んだ浅井さん。日本全域から、なぜこの奥会津の地を選んだのだろう。

「新規で登山ガイドとして活動できそうな場所が尾瀬か屋久島ぐらいだったんです。富士山でも夏のガイドの仕事はありますが、2ヶ月でシーズンが終わってしまう。1年間通して仕事ができそうな場所として尾瀬を選びました」

実際に登山ガイドになるためにはいくつかのステップがあったと言う浅井さん。「移住相談会に行ったものの、登山ガイドの仕事の紹介はなかった」と言う。しかし、浅井さんがその仕事を諦めることはなかった。
「直接ガイド事業者にお話をして、仕事を見つけることができました。最初に勤務した南会津町の会社には寮があったので、そこに入れてもらい、住み込みで働いていました。ガイド会社には、約8年勤めました。ガイドといっても、最初は未経験で、右も左もわからない。先輩ガイドに付いて体験的に学んだりガイド資格を取ったりして、仕事のやり方を学んでいきました」

その後、浅井さんは現在、居を構える檜枝岐村に移り住む。その理由とはどういったものだったのだろう。

「檜枝岐村を選んだ理由は、1番は尾瀬が近いということです。尾瀬のお膝元の村に住みたいと思ったんです。尾瀬は群馬県片品村と福島県檜枝岐村の2か所にメインの入口がありますが、片品村は住民も観光客も多いんです。もっとのんびりと静かな場所がいいなと思い、檜枝岐村を選びました」

知り合いやツテもほとんどない状態での移住だった浅井さん。しかし、奥会津の人々との交流にはどこか心地よさがあったという。

「隣の家のおばあちゃんに『お茶をしに来い』と声をかけてもらったり、色々な野菜をもらったり。村の中では誰でも気さくに話をします。首都圏では子どもたちは知らない人に挨拶してはいけないと教えられますよね。しかし、こちらでは道で会えば自然と挨拶しますし、他愛もない会話もします。個人的に思っていることですが、檜枝岐村は観光客をたくさん受け入れてきた歴史があるので、開放的な土地柄なのではないかと思っています」

奥会津の檜枝岐村で浅井さんはどのような暮らしを営んでいるのだろう。四季の中に織り込まれる美しい暮らしについて話してくださった。

「檜枝岐村は人口500人ぐらいの小さな村ですが、見渡す限り周囲を山に囲まれていて、これ以上ないくらいガイドにはぴったりな場所なんです。さらにいうと、雪もすごく降るところなので、冬の間の雪山ガイドの仕事も充実しています。

具体的には、5月から10月は尾瀬のグリーンシーズンと呼ばれていて、登山のガイドやお花などを見ながら案内をする湿原のガイドをしています。11月はオフシーズンで、12月から4月までは雪山のガイドをしています。このあたりでは、会津駒ヶ岳に登って、スキーを楽しむことができます。また、燧ヶ岳(ひうちがたけ)に行くこともありますね。ガイドの仕事がないときには、登山道の整備や草刈りなどの仕事もしています」

「移住先に仕事があるか」は移住検討者にとって小さくはない不安だろう。浅井さんの言葉はそうした不安を吹き飛ばす実体験に基づいた強さがある。

「仕事は選ばなければ色々あります。住んだ町なり村なりの仕事や困りごとを手伝っていけばいいのではないかと思います。地元の人との繋がりができれば、問題なく暮らしていけます。勢いを持ってぽんと住んでしまえば、案外どうにかなるものです。移住でもなんでも、やりたいことがあれば、早めにチャレンジするのがいいのではないでしようか」

『やらなければ』から『やりたい』に変わった仕事観

埼玉県で生まれ育ち働いてきた浅井さん。その頃と比較して、今の暮らしとはどういったものなのだろう。

「埼玉県で働いていた時は、仕事が好きという思いはなく、お金のために働いているような感覚でした。 忙しいですから、職場と家の往復で毎日が過ぎていき、家には帰って寝るだけ。奥会津に住んで、のんびりマイペースに仕事をして、自分の時間も持てますし、すごく人間らしい生活ができるようになったと思っています。

埼玉県での暮らしが楽しくなかったわけではありませんが、仕事をやらされてる感覚がすごく強かったんです。『やりたい』ではなくて、『やらなければ』と常に思っていた気がします」

檜枝岐村で暮らすようになった浅井さん。現在は「自分のやりたいことを仕事にできている」と静かに語る。以前と比べて、決定的に異なることとはどういったことだろう。

「ストレスがまったくなくなりました。毎日心から楽しく暮らせています。夏は太陽が昇ったら起きて、日が沈んだら仕事を終える。夜はのんびりして、早く寝て。必然的に、睡眠時間もしっかり取れますよね」
 


尾瀬でのガイドの仕事は、浅井さんにとって、今、どういったものとなっているのだろう。

「心から尾瀬が大好きです。毎日、尾瀬を歩いていてもまったく飽きない。ガイドを頼まれる方は、大前提として自然が好きな方が多いので、共通の話題がすぐに見つかります。尾瀬はそんなに急な山ではないので、登山を始めたばかりの、定年した60代、70代ぐらいのお客様が多いです。そうした方々と尾瀬の自然を一歩一歩進んでいくことは至福の時なんです。特にガイドツアーに参加いただいたお客様に喜んでもらえるのが1番嬉しいですね」

浅井さんのもとには何度も訪れるリピート顧客も多いという。その方々は尾瀬の自然のどんなところに魅了されているのだろう。

「『いつ来ても新鮮だね』『景色が違うね』といったことを話してくださいます。同じところを歩いていても、季節によって見えるものが全く異なるので楽しんでいただけているのではないかと思います。尾瀬の湿原では、夏の時期はお花がとても多くて、1週間ごとに咲く花がガラリと変わるんです。例えば、6月下旬には白い綿帽子が付いたワタスゲという花が一面に広がります。それから1週間経つと、アヤメやカキツバタの紫色の花が鮮やかに咲き誇る。毎日見ても飽きることがない景色なんです」

雪があるからこそ豊かな自然が育まれる

「仕事とプライベートの境界線はほとんどないです」と微笑む浅井さん。プライベートでも、近くの山にバックカントリーで入って滑って楽しんでいるという。また全国の山々にも登りに行く。どこまでも自然と共に生きる。

檜枝岐村は全国屈指の豪雪地帯。しかし、雪があるからこそ見られる美しさがあるという。
「3メーター以上雪が降ることもある地域です。雪がたくさんあることによって、尾瀬の植物が豊かになったり、雪遊びを楽しんだりすることができる。ガイドという仕事をしたいと思っていた私にとって、雪があることはすごくプラスなことです」

現在の子どもたちは自然が身近にあったとしても、なかなか触れ合う機会がないということにもったいなさを感じていると語る浅井さん。

「1番感じてほしいことは、『山は楽しい』ということです。ガイドは自然のことを語る仕事です。この花がどうしてここで咲いているのかや動物の不思議な生態などをお伝えし、自然の楽しさを感じてもらえたらなと思いガイドをしています。

また、子どもたちには雪の楽しさや素晴らしさを体験してもらい、お父さんお母さんの世代になった時に、また山に戻ってきてくれたら嬉しいですね」

尾瀬の湿原にのびた一本道を歩く浅井さんの目には、昨日とは異なる今日だけの自然の表情が映し出される。雪の下に眠っていた春の土の香りが体を包んでいった。
動画では、ここで紹介した以外にもご自身の仕事の魅力や大切にされていること、奥会津の暮らしの好きなところなどさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
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