loader image
Close
file16

根っからの旅人だった

米農家
Tokoro Yasuhiro
つくば市で旅行会社を経営しながら、昭和村大芦地区の古民家を購入し2拠点居住。耕作放棄地を酒米づくりに生かし、南会津町の花泉酒造とコラボした日本酒を国内外に販売。インバウンド誘致にも取り組む

「根っからの旅人」がたどり着いた、どこにも行きたくなくなる場所

茨城県つくば市で旅行会社を経営しながら、昭和村大芦地区の古民家を購入し2拠点居住をしている戸頃康弘さん。週末は奥会津で過ごし、月曜の朝早くにつくば市へ向かい、そして金曜の午後にはまた奥会津に戻ってくるという生活をおくる。

「旅行会社では、茨城県内のお客様を募集し、全国各地にお連れする発地型のツアーを企画販売してきました。このビジネスを30年近く続けてきましたが、近年ではどこか行き詰まりを感じていました。日本のみならず海外からもお客様を招くような着地型のグリーンツーリズムを提供したいという思いが強まり、さまざまなエリアを検討していたところ、奥会津のこの場所に出会いました」

耕作放棄地を引き継ぎ酒米を作る兼業農家へ

現在、戸頃さんは旅行業だけでなく、奥会津で酒米づくりに取り組んでいる。
「移住1年目で耕作放棄地を引き継いで、約5反ほどの田んぼを管理することになりました。その後、驚いたことに、隣町のおいしいお酒を作る花泉酒造さんへ酒米を全量提供し、そこで製造されたお酒をヨーロッパに輸出するという企画が持ち上がります。現在では、すっかり酒米を作る兼業農家になりました」

農業をゼロからスタートさせた戸頃さん。苦労はなかったのだろうか。
「村の方は聞けば教えてくれます。ただ、聞かないと、教えてくれません。そこには、自分が教えて失敗してしまったら申し訳ないという思いがあるのだと思います」

そう説明する戸頃さんは「でも、聞かれるとどんどん教えてくれるんですよ」と続ける。
「移住したてで、道具もなかった私に対して、『農業をやめるからコンパイン使っていいよ』『小屋も自由に使って』と本当によくしてくれました。村の方々の応援もありますから、やりがいもありますし、仕事も捗ります」

とはいえ、全てを捨てて農業に従事することにはリスクも感じているという。

「今のところ、水害や大きな自然災害にも遭っていないので、ここ3年間は順調に米の収穫ができています。しかし、農業は自然相手の仕事。いつどうなるかは誰にもわかりません。米農家とこの土地での着地型ツアー業の両輪で、進めていきたいと思っています」

『何もしない』旅のスタイルを提案したい

奥会津の昔ながらの古民家を買い取り、広い窓から外を眺めたり暖炉を灯したりという日々を過ごす戸頃さん。なぜ移住先として奥会津を選んだのだろう。

「昔からオートバイで奥会津にくることが好きだったんです。会津だけでなく、新潟県や山形県、福島県が交わるエリアの湿っぽい自然が好きで。逆に長野県などは、少し渇いたような自然で、私はあまり好みではないんです。田んぼと里山と森が融合するような、こういった雰囲気がいいですね」

着地型のツアーを組める拠点をインターネットで探していた際に偶然目に止めたのが、現在住む古民家だった。戸頃さんは、「早速見学に来て、即決めてしまいました。まさかここで仕事ができるとは思わなかった」と目を細める。

実際にこの土地で暮らし、どのような思いを抱いたのだろう。

「昭和村は自然が豊かで、森が綺麗で、水が綺麗で、何より静かな場所なんです。隠れ里のような村なので、素晴らしい場所がたくさん残されている。ここでは、外国人に限らず、日本人の方も、ただただ静かに、長期間過ごしていただくような『何もしない』旅のスタイルを提案したいと思っています」

旅行者は、この奥会津の地でどのような時間を過ごすことができるのだろう。現在、戸頃さんは、この場所の自然を生かしながら旅行者が楽しめるような、さまざまな取り組みを進めているという。

「すぐ近くに私が借りて自由に使わせてもらっている耕作放棄地があるのですが、そこに水を引き入れて大きなビオトープ作っています。水辺の生き物が好きなので、湿原を作って、サンショウウオ、イモリ、ゲンゴロウなど日本の里山の生物が生息できる場を作っているんです。観光客の方や子どもたちが、生物と触れ合う体験ができる場所になったらいいなと思っています」

さらに「蛍の里」として、知ってもらえるようなスポットにもしていきたいといいます。

「ここではゲンジボタルもヘイケボタルもたくさん見られます。これからの構想の話ですが、周辺の田んぼでは無農薬でお米を栽培し、蛍がさらに生息しやすい日本一の『蛍の里』作りをしていきたいと思っています。そのために、村の人にたちに相談を進めているところです」

四季折々で表情を変える自然。その折々の自然も戸頃さんの心をとらえている。

「冬は近くを鹿が走り回ったり裏庭にウサギが遊びに来たりします。この前は、アナグマも見ましたよ。熊は民家の周辺で見ることはほとんどありませんがああいった大きな生物が生きる山があるということは素晴らしい環境ですよね。

秋には田んぼにトンビが遊びにくるんです。トビオと名付けて、いつも遊んでいます。鳥と対話をしながら、農作業をするのは、私にとって最高のひとときです」

「こんなに可能性に満ちあふれた場所はない」

家の裏山は戸頃さんのお気に入りの場所だ。大樹の木漏れ日を浴びながら、この土地の美しさを改めて語ってくれた。

「この景色が、奥会津らしさそのものです。私はこの景色をどうにかして残していきたいと思っています。いい天気の日には必ずこの谷いっぱいに霧がかかります。向こう側から太陽がシルエットになって昇るんです。早朝草刈りをしているだけで、北アルプスの稜線の朝を歩いているような清々しさが感じられる。1日の始まりを心から楽しめています」

次世代の子どもたちにも、「奥会津の土地の素晴らしい景色」への想いを口にする。

「せっかくこんなに素晴らしい景色と奥会津を思う人々がいる場所なので、未来まで残していってほしいですよね。私もこの土地で農業をできる限り頑張ります。頑張るだけ頑張って、あとのバトンはお渡ししていきたいです」

若い頃から旅ばかりの日々を送ってきたという戸頃さん。しかし、今は奥会津のこの場所にいることが至福の時間だという。

「私は、国内だけでなく、北極圏から南米まで、ありとあらゆる場所を旅してきました。しかし、こんなに素晴らしいところは他にありません。空気はいいし、眺めはいいし、美しい田んぼはあるし、虫はいっぱいいるし、 人はいいし、食べ物は美味しいし、歴史はあるし……本当に素晴らしい場所です。

観光地化されていない昔ながらの伝統的な生活が守られていて、こんなにも可能性に満ちあふれた場所は日本の中でもそうないでしょう。私は第2のニセコになり得るとも思っています。次世代を担う子どもたちには本当に素晴らしい場所に住んでいるのだということを知り、未来へとつないでいってほしいです」

「根っからの旅人だった」と語る戸頃さんがたどり着いた場所は、この奥会津の土地だった。「この景色でね、酒飲んで満足しているんですよ」と、奥会津の木々と共に微笑んだ。
動画では、ここで紹介した以外にもご自身の仕事の魅力や大切にされていること、奥会津の暮らしの好きなところなどさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
play