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地域の仲間とのつながりが宝物になる

大工八〇
Oshibe Ryota
愛知県出身、高校卒業後に岐阜で建築・大工を学ぶ。幼少期に祖父のいた金山町を訪れていたことが原体験となり奥会津へ移住。昭和村の地域おこし協力隊を経て、大工として独立

奥会津の家々の造りに魅せられて歩んだ大工の道

愛知県出身の押部僚太さんは、高校卒業後に岐阜県で12年間建築大工として修行する。大工の仕事に打ち込みながらも忘れられずにいたのは、幼少期の奥会津での記憶だった――。

「祖父母の家が奥会津の金山町にあり、学校の長期休みには遊びに来ていました。奥会津で見た家々がとてもかっこよくて、『大工になりたい』という思いが強まっていきました。奥会津の山や木への愛着も抱くようになり、どんどん奥会津での大工の仕事へ憧れが強まっていきました」

しかし、奥会津に住む祖父母は押部さんの思いに対して不安を抱いていたこともあったという。
「小さい頃は喜んでくれていましたが高校生くらいになって『奥会津に行きたい』というと、『ここは雪が深いから、生活するのも仕事をするのも一筋縄ではいかない。だから、雪のないところで仕事をしなさい』と言われました。雪国の暮らしが大変だと知っているからこそ、心配して伝えてくれていたんだと思います」

押部さんの大工への思いは、時が経っても消えることはなかった。
「高校は進学校に通っていたので、周囲の友人は大学への進路を考えていました。しかし、僕は職人になりたいという思いが強くて……。そこで岐阜県の大工の親方のもとに弟子入りをしました。弟子入りの時から、『ある程度仕事を覚えたら、奥会津へ行きたい』という胸の内も伝えていました。幸運なことに、親方もそれを理解してくださいました。

立派な腕のいい親方に就くことでき、仕事にも慣れ、岐阜県内に知り合いも増えていきました。『ずっとこのまま親方と一緒に仕事するのもいいかもしれない』とも思うようになっていきました。しかし、奥会津での仕事への興味を失うことはありませんでした。

5、6年前の冬、揺れている僕の心を見透かしてか、親方の奥様が昭和村の地域おこし協力隊募集のチラシを持ってきて、『迷っているのが目に見えるから、1年でもいいから奥会津へ行って、納得してきたらどう? 戻ってきたかったらまた戻ってくればいいわ』と言われたんです。そんな優しい後押しをいただいて決断することができ、奥会津へ赴くことができました」

世界に誇るべき奥会津の建築

奥会津へ移住した押部さんはどのような暮らしを送っていたのだろう。
「募集していた地域おこし協力隊の業務には、古い家の解体や整理が含まれていました。農家を解体した後は、その家の骨組みを見ることができると思いました。奥会津の家の造りに興味を持っていた僕にとっては、またとない機会だと感じました」

奥会津で地域おこし協力隊の職に就きながらも、土日は副業としてリフォームや民具の修理などを行っていた押部さん。特に興味をそそられたのが「からむし織」の仕事に使う道具だったという。
「昭和村では、昔から『からむし織』が有名です。糸によりをかける道具や機織り機(はたおりき)など昔から使われている道具が、奥会津では今もなお現役で活躍していました。からむしの畑の手伝いにも参加していたので、次第に機織り機(はたおりき)の修理なども任されるようになり、とてもおもしろかったです」

さらに、奥会津ならではの建築にも携わる機会が増えていった。「奥会津の土蔵の意匠は世界に誇るべき素晴らしさだと感じました」と押部さんは力を込める。

「土蔵は、簡単に言えば箱があってその上に屋根がのっているような造りになっています。その屋根のかけ方が洗練されていて、かっこいい。奥会津に来たら、この特徴をよく見てもらえたら嬉しいです」

地域の仲間とのつながりが宝物になる

奥会津での暮らしのありがたさは「人に支えられている点だ」と押部さんは語る。
「奥会津では、人がとてもよくしてくれるんです。お茶に誘ってくれたり、花見などの行事ごとに声をかけてくださったり。約30年ほど前から昭和村には、『からむし織』を担う“織り姫さん”を受け入れる織り姫制度が根付いていました。地域の外からたくさんの人が訪れる土地柄なので、受け入れることに慣れているのかもしれません。今までこの土地を訪れてきた人たちが住民とよい関係性を築いてきたからこそ、我々移住者の後輩がその恩恵を受けることができました。ありがたいことですよね」

押部さんは仕事においても人とのつながりや協力し合う大切さを感じていると言う。
「建築大工は1人では家を建てられません。同業の大工の力も借りますし、屋根、基礎、畳、水道、電気などたくさんの業者の方々と関わりながら1軒の家を建てていきます。僕はものを作ることが仕事ですが、それをするための環境整備こそ、とても重要だと感じています。自分1人で仕事をしているのではなく、たくさんの人にお世話になりながら成り立っているのだと日々実感しているのです」

押部さんがこうした考えを持つように至った背景には、奥会津で出会った棟梁の存在が大きいという。
「僕がすごく尊敬してる棟梁に会うたびに、『仲間を作れよ』『職人仲間が我々の1番の宝物だからな』と言われてきました。加えて、『仲間というのは自分が都合のいい時だけ頼るのではない。お互い大変な時でもお互い様だと協力し合えるのが仲間だ』という話もしてくださるんです。実際に棟梁は、常にたくさんの地域の仲間に囲まれています。地域の方々と協力し合って仕事している姿を見て、僕自身も棟梁のようになりたいという思いを抱くようになりました」

押部さんは奥会津に対して、「人の純粋さが一番大きな魅力です。交じり気がないということを、すごく魅力に感じています」と語る。
「『愛嬌がある』という表現は少し失礼かもしれませんが、奥会津の人と話をしていると純粋さや人柄の良さを心底感じるのです」

自然の中での遊びが豊富な点も押部さんが奥会津を気に入っているポイントだという。
「山でキノコや山菜を取ったり田植えの手伝いをしたりして楽しんでいます。他にも、この場所でいろいろな楽しみを持っている人がいますよ。何もない田舎のようで、遊び方や楽しみ方、暮らし方などがたくさんあります。『雪が降る』と一口で言っても、さまざまな種類の雪が降るんです。この季節にはこれをしよう、冬の時期でも降る雪の種類に合わせてこれをしよう、といろいろな仕事を自分で組み立てていくことができます。そうした生活を作っていくことに、僕は魅力を感じています」

奥会津は建築大工や木工などでたくさんの職人仕事がある。押部さんは特に「大工仕事ひとつ取っても、他のエリアではすでに行われていないような技術が今でも残っているエリアだ」と微笑む。

奥会津ならではの家々の作り――。押部さんは丁寧な手仕事でその魅力を残していく。長い時間をかけて受け継がれてきた伝統は、さらに未来へと継承される。
動画では、ここで紹介した以外にもご自身の仕事の魅力や大切にされていること、奥会津の暮らしの好きなところなどさらに詳しいインタビューも収録。ぜひご覧ください。
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